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【中村莟玉さん】「ここからは親子として…」襲名後の莟玉を救った父・梅玉の言葉とは

13年間、中村梅丸として研鑽を積み、2019年に初代中村莟玉と改名。念願の幹部昇進を果たし、同じタイミングで人間国宝・中村梅玉さんの養子になることが発表されました。今回の美ST ONLINEでは、歌舞伎界の若手で最注目の中村莟玉さんにフォーカス!梅玉さんがすぐには莟玉さんを養子に迎えなかった理由とは?改名して7年を経た莟玉さんの現時点とは?そして歌舞伎俳優ならでは!?な愛用品まで、たっぷりとお届け致します!

《Profile》中村莟玉さん

1996年9月生まれ。東京都出身。歌舞伎俳優(屋号は高砂屋)。9歳の時に本名である森正琢磨の名前で初舞台を踏む。翌年の2006年に中村梅玉の部屋子となり、同年に中村梅丸を名のり本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。その後2019年に人間国宝・中村梅玉の養子となり、初代中村莟玉と改名。立役、女方ともに勤め、歌舞伎界の枠を超え人気急上昇中の若手のホープ。2025年放映の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の西村屋万次郎役が記憶に新しい。今後ますます目が離せない存在。

◆公演情報

六月博多座大歌舞伎

公演日程:2026年6月2日(火)~22日(月)

昼の部 午前11時~
夜の部 午後3時45分~

劇場:博多座

第三回 高砂会

公演日程:2026年8月22日(土)17時、 23日(日)11時30分/16時30分

劇場:日本橋公会堂

コロナ禍直前に!憧れ続けたお役で初代中村莟玉をお披露目

「改名のタイミングで、養子として披露することを考えている」と梅玉から言われた時は、「え、そんなこと考えてくれていたんですね!」と嬉しさと驚きがごちゃ混ぜになった気持ちでした。これは後で知ることになるのですが、梅玉はもっと前から松竹の方に「早く梅丸を養子にして幹部俳優として育てては?」と提案されていたようなんです。ですが梅玉の答えは「まだ早い、もうちょっと待ってほしい」と。今思えば養父らしいなと思います。改名や幹部俳優になるというプレッシャーに僕が耐えられる頃合いを、しっかりと見極めてくれていた。養父なりの愛情だったんです。

莟玉改名と梅玉の養子になる発表の取材会があった時、「ご両親の反応は?」と訊かれたのをよく憶えています。養子になるって、確かに一般的には大きなことなのかもしれませんね。部屋子として師匠の弟子でいるのとは、やはり違いますから。「あ、そうか、それが普通の感覚だよな」と。両親の反応ですか?「へー!」という感じでした(笑)。「あなたの人生だから」と、僕が進みたいステージをちゃんと理解してくれていたのだと思います。幹部俳優にならないことには、なかなか同世代の御曹司の方たちと同じようなお役で舞台に立つことは難しいですから。

莟玉の改名披露の公演は2019年の11月、歌舞伎座でさせていただきました。その4ヵ月後くらいには世の中はコロナ禍になりますので、もし時期がズレていたら、その披露が流れて今の僕は莟玉としてこの場にいなかったかもしれません。披露の演目は「菊畑」で、虎蔵というお役でした。もしかすると、梅丸時代の僕と言えば女方の印象が強かったかもしれませんが、実はこれまで女方と立役は、大体半々くらいなんですよ。そしてこの虎蔵は僕の憧れのお役でした。遅れて登場して最後は格好良く決まる、という、まさにウルトラマンのような(笑)。虎蔵は梅玉が得意とするお役で、そばで見ていて惹かれていたんです。歌舞伎では、役柄とそれを演じる役者のキャラクターのマッチ度を「仁(ニン)」と呼びますが、養父と虎蔵の仁は抜群に合っているんです。だからという訳ではないですが、「僕にも合うかも」と密かに思っていました。もちろん恐れ多くてそんなこと誰にも言ったことはありませんが、「披露のお役は虎蔵で」と養父が決めてくれた時、なぜ僕の妄想がバレているんだろう、と運命的なものを感じたんです。

改名と同時に師弟から親子に。「こそばゆいやろ」と愛之助兄さんのアドバイス

改名発表からお披露目までの数ヵ月はまさに怒涛でした。準備やお稽古はもちろんなのですが、梅玉とは師匠と弟子の関係でしかなかったのが、親子という関係にもなった訳ですから、気持ちの面でも怒涛でした。どう振る舞ったらいいかわからなくて、歌舞伎座での披露の翌月に京都の南座で愛之助兄さん(片岡愛之助さん)とご一緒させていただいたので、「どんな感じでしたか?」と訊いてみたんです。愛之助兄さんも部屋子から養子になられた経緯がありますから。すると「こそばゆいやろ」と(笑)。そして、「自分ではどうしようもないことだし、徐々に周りも慣れてくるから」と言っていただきました。僕が歌舞伎界に入った時には、もう愛之助兄さんは立派に独立されていらっしゃいましたけれど、養子になりたての頃は僕と似たようなお気持ちだったんだなと思いました。あとは何より、梅玉のスタンスに救われましたね。僕に対する接し方をガラッと変えてくれたんです。改名発表の記者会見では「ここからは親子なので。今後私に反抗してくることも増えてくるだろうけど、それも良いと思っています」と言ってくれました。呼び方も「梅丸」だったのが、僕の本名である「琢磨」になったんです。部屋子時代は養父の楽屋なんて着替えを手伝ったり、身の回りの用事を手伝う時くらいしか入らなかったのに、養子になってからは同じ楽屋で鏡台を並べて化粧をするようになりました。環境面でのあらゆる変化が気持ちを切り替える上では、かえって良かったのかもしれません。莟玉になって7年目になり、相変わらず梅玉の庇護下にあることには変わりませんが、高砂屋という敷地内の、か細くはあるけれど、1本の木になれたと感じています。それまでは枝葉でしかなかったけれど、木となって、これからどんな姿になっていけるか、僕自身が楽しみながら進んでいきたいと思っています。

「眉毛全剃り」は歌舞伎俳優にとっては日常茶飯事

歌舞伎俳優は化粧をする時、固い鬢付け油をライターで溶かして眉に押しつけます。しっかり眉毛も潰すのですが、汗をかくと油がとれて潰した眉毛が立ってきてしまうんです。それを嫌がるからみんな眉毛を全剃りするんですが、昨年の大河ドラマ「べらぼう」のように映像の仕事をしているとそういう訳にもいきませんよね。これはファンデーションテープと言って、幸四郎兄さん(松本幸四郎さん)から教えてもらったもの。馴染むし、汗をかいても毛が立ってこないし、優れものです!

実は生まれた時からアトピー肌。気に入ったアイテムを一途に使い続けるタイプ

僕は生まれた時からひどいアトピー肌なんです。子役時代は兄弟子に化粧をしてもらっていたのですが、鬢付け油をつけただけで顔中が火照ってしまって。あまりに赤くなるので、窓の下で冷ましてから白粉を塗らないといけないほどでした。こりゃ大変だと思いましたが、成長するごとにだんだん荒れなくなったんです。肌に強制的にわからせていったというか(笑)。スキンケアはこだわっているというよりも、肌が弱いので使えるものが限られているという感じ。左のジュジュ化粧品のメイク落としクリームは絶品!化粧が肌に負担なくすぐ落とせるので、2役続いて20分休憩中に化粧を1からやり直さないといけない時にも素晴らしい仕事をしてくれました。めちゃくちゃ重宝していたのにまさかの廃盤に!代替えも見つけてはいるものの、これに勝るものはありません。復刻を切に望んでいます!右のパックスオリーのフェイスフォームは顔はもちろん、腕や脚に塗った白粉を落とすのにも使っています。化粧が残るとすぐ肌荒れするのですが、これは綺麗に落ちます。真ん中の小林製薬のオードムーゲVC 薬用ローションはもう20年くらい使ってます。他のもちょこちょこ使ってみたりするのですが、結局荒れちゃってコレに戻ってきますね。

本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。

撮影/佐藤容平 ヘア・メーク/森永瑠衣(mfn) スタイリスト/藤長祥平 取材/キッカワ皆樹 編集/西村公寿

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一生元気に!自愛ビューティ

【中村莟玉さん】「ここからは親子として…」襲名後の莟玉を救った父・梅玉の言葉とは

2026年6月号

2026年4月17日発売

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