PEOPLE
1980年代後半から1990年代前半にかけて、「Miracle Girl」や「ZUTTO」など数々のヒット曲を生んだ歌手・永井真理子さん。2003年、家族と共にオーストラリアに移住したことで、「人生で初めて普通の生活を体験できた」と言います。そんな彼女が帰国を決意したのは、息子さんの将来を考えたからだそう。10年間の海外生活を経て感じたことを伺いました。
《Profile》
永井真理子(ながい まりこ)
1966年静岡県生まれ。短大在学中から音楽活動をスタート。ボーイッシュで元気な女の子のイメージで人気を博し「Miracle Girl」や「ZUTTO」などのヒット曲を生んだ。1991年紅白出場、1992年日本人女性初の単独ライブを横浜スタジアムで開催ののち結婚、出産。10年のオーストラリア移住から戻り音楽活動を再開。「Re★Birth of 1992 2022.8.7.Sun. KT Zepp Yokohama」をhttps://marikoshop23.stores.jpにて発売中。
結婚3年目に息子が産まれ、1年半育休をとってから仕事に復帰しました。復帰後は仕事を少しセーブしつつも、育休前とほぼ同じスピードでアルバムを出したり、ライブをするという生活サイクルに戻っていったんです。ただ、ちょうど息子が小学校に上がる頃、「ここで一旦自分を見つめ直してもいいのではないか。子育てもちゃんとしたい」と考えるようになりました。でも単純に休むだけではどうしても音楽業界が気になってしまう。ならばいっそ海外に行って、ゼロから自分を見直してみようと思いました。
移住先はアメリカ、イギリスにも下見に行きましたが、ファミリーの移住に優しい国だったオーストラリアに決めました。オーストラリアに行ってからは母親業に専念。夫は作曲をするので、どこにいても仕事ができると言ってくれました。
息子は現地の学校に入学。最初半年は馴染めなかったようですが、私たち親には全く言わず、「大丈夫だよ!」と毎日笑顔を見せていました。ですが、ちょっと無理しているなと感じることもしばしばあって。意を決して先生に聞きにいってみると、やっぱりお弁当は一人で食べていたし、授業中にトイレに行きしばらく帰ってこないことが続いている…という状況でした。胸が痛くなったけれど、「何も言わず本人の頑張りを見守ろう」と夫と話し合って決めたんです。その結果、半年後には親友の青い目の男の子を紹介してくれました。「あー良かった」と安堵しましたね。
当時は言わなかったけれど、大人になってから「移住してすぐの時はいじめがあった」と息子は話してくれました。相手にされなかったり、ひとりぼっちになったり…。でも最終的には本当に学校を楽しむようになって、「日本に帰国したくない」と言うほどオーストラリアが大好きになっていました。
私自身も言葉の問題をはじめとして、色々と大変なことは多かったですね。自分一人だったらなんとか工夫して生きていくけれど、子供の学校のことでは絶対に手続きを間違えないようにしなくてはいけないし、行事などで地元の人とも付き合っていかなければならない。そんな日々の忙しさで、日本でのストレスなんてどこかに吹っ飛んでしまいました。オーストラリアには結局10年間住んでいましたが、最終的に言葉が上達したかどうかはわかりません(笑)。
20歳そこそこでデビューした私は、バイト経験もほぼゼロで一人では本当に何もできなかった。言葉もできない、誰かに声をかけないと助けてもらえないという状況で、普通の人の生活を初めて経験したんです。それまでは周りのスタッフのお膳立てがあってコンサートや音楽活動が成り立っていた。自分は音楽を作ってひたすら歌っていただけ…そんな毎日だったので、いかに自分が恵まれていたかを知りました。
オーストラリアでは音楽活動はほとんどやらなかったので、子供は私をアーティストとは知らず、普通のお母さんだと思っていました。帰国してから私のライブを見に来て初めて、「お母さんってすごいんだね」って(笑)。
オーストラリアの教育は独特で、日本とは全く違います。小学校は「楽しく学ぶ」がテーマ。教科書が一切なく、先生が全部口頭で教えてくれるんです。例えば海に行くと、走る。これは体育ですね。次は砂を掴んで投げて「海ってどこからどこへ繋がっていると思う?」と生徒に投げかけます。これは地理。そして貝殻を拾って観察する。生物ですね。こんなふうに遊びながら知識を伝えていく。とても楽しいから子供たちは勉強している意識が一切ないんです。
幼稚園からはコンピューターを学ばせるのですが、PCやタブレットを使って遊び感覚で絵を描かせていくので、子供たちはどんどん上達していきます。日本は集中させる時は静かにさせるけれど、向こうは流行している曲をガンガン流すんです。するとみんなワクワクしながら集中して勉強する。「みんな、これができたら次はあの曲をかけよう!」なんて先生が言うものだから全員ものすごく頑張る。意欲をかき立てる教育がとても上手だし、音楽を使うのも素晴らしいと思いました。
小学校では教科書もテストもないので、中学で始まる勉強が新鮮で楽しく感じるようです。勉強が嫌になりがちな高校のタイミングでは100近い項目から好きなものを選ばせて、専門的な勉強ができるようになります。なりたい職業のオフィスを訪ねて働かせてもらい、それが単位になる授業もあります。そんな体験ができるから、何が自分に合っているのかが高校の段階で自ずとわかるようになっていくんです。日本でもこんな教育があったらいいのに!
オーストラリアは自国の音楽の他に、アメリカやイギリスの音楽がテレビやラジオからずっと流れているので、日本の音楽を全く聞かない生活を送っていました。日本食のスーパーマーケットに行った際、日本の音楽が流れていて「あーこんな感じだったな」と懐かしくなるほど。当時はジャスティン・ビーバーとかリアーナとかリンキン・パークとかが流行っていましたね。日本に帰国してからはそんな欧米の音楽の影響を受けて移住前とは違った音楽作りができました。
日本の音楽はメロディ、歌い方、アレンジなど全てが独特です。今、70年代、80年代の日本のポップスが海外で流行っているのは英語圏の人たちにとっては全く新しいムーブメントだからなんだと思います。
息子が高校進学するタイミングで帰国を決意しました。オーストラリアは運動会をはじめ、何から何まで全て自由参加です。自分から手を挙げない消極的な子は何も参加しないし、しなくても良いとされています。ぼーっとしてまるでコアラみたいな子になってしまうんのではないかと(笑)。好奇心旺盛な子供が多いオーストラリアで、息子は埋もれてしまうのではないかと心配もありましたし、何より日本の良さも知ってもらいたかった。
息子はどちらかというと消極的でのんびり屋さんでした。なので、思春期のうちに色々な刺激を与えておこうと思い、彼は嫌がりましたが無理やり帰国。インターナショナルスクールではなく、近くの都立の高校に入れました。
当時の息子は日本語もよくわからず、徳川家康と徳永英明の区別もつかないくらいでした(笑)。また一からやり直しですね。最初はやっぱり苦労したようですが、幸い周りに同じ境遇の生徒達がいたので助け合いながら頑張ったようです。そしたらいつの間にか、逆に日本が大好きになって。周りに刺激を受けて「僕はもっとやれることがいっぱいあるんだ!」と言って、キラキラした青年になりました(笑)。
日本は競争社会。負けると相手にされないこともある。日本に帰ってきた息子は「自分は何ができるんだろう、何が好きなんだろう」と常にアンテナを立てるようになりましたね。「高校から日本に帰ってきて良かった」と本人も言ってくれました。
移住生活を今思い返してみれば、みんなで力を合わせないと生きていけなかったので夫婦の絆、家族の絆は強くなったと感じます。息子には過保護な環境は与えず、しっかり見守りつつどこでも生きていけるようにと願いながら育てました。
特に男の子はあまり話さないので、しっかり見ている必要があります。一人息子でしたので、息子というよりも兄弟のようによく話しかけていましたね。夫も普段の勉強などは私に任せていましたが、息子の反抗的な言葉には「お母さんにその言葉はないだろう」と叱ってくれたり、必要な時には男親としてガンと雷を落としてくれたのでとても助かりました。
息子は今、自分のやりたいことを頑張っています。私のライブを観た後はいつも「かっこよかったよ」とちょっと照れながら褒めてくれます。一人暮らしをしたら色々思うこともあったようで、「なかなか経験できないような幼少期を送らせてくれて感謝してる」と嬉しいことを言ってくれました。移住生活は大変なこともたくさんありましたが、その言葉を聞けたので間違ってなかったと胸を張って言えますね。
《衣装クレジット》
シャツ¥26,400(Uttrykk) デニム¥27,500(upper hights/ゲストリスト) イヤーカフ[右、下]¥69,300(carat a/イセタンサローネ 東京ミッドタウン) イヤーカフ[右、上]¥31,900 イヤーカフ[左、上]¥57,200 イヤーカフ[左、下]¥66,000(すべてヴァンドーム青山/ヴァンドーム青山 プルミエール 伊勢丹新宿店) リング[左、人差し指]¥38,500〜 リング[左、小指]¥41,800〜(ともにマリハ)その他のリング(ご本人私物)
《問い合わせ先》
イセタンサローネ 東京ミッドタウン ☎03-6434-7975
ヴァンドーム青山 プルミエール 伊勢丹新宿店 ☎03-3350-4314
ゲストリスト ☎03-6869-6670
マリハ ☎03-6459-2572
Uttrykk ☎03-6438-9007
撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/yumi(Three PEACE) スタイリスト/Toriyama悦代(One8tokyo) 取材/中田ゆき 編集/安岡祐太朗
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