MAKE UP
’80年の『JJ』から最新号の『美ST』まで、ヘア・メーク藤原美智子さんと一緒に過去の誌面を見直しながら思い出に残る企画&作品の数々をプレイバック!日本のメークアップの歴史は、藤原さんの軌跡でした。
美容学校卒業後、’80年より松永タカコ氏に師事。約2年半に及ぶアシスタント時代を経て独立。以降、42年間美容の第一線で活躍。’22年4月19日をもってヘアメークの活動を終了。
アシスタント時代から各媒体で活躍した藤原さんのJJ初登場は、当時大流行したブルーのアイシャドウ企画。まだメークページも女性アーティストもコスメの数も少ない時代でした。(1983年『JJ』7月号)
独立後、あまり時間を置かずになんと師匠である松永タカコさんと誌面で共演。当時一緒に仕事をしていた他誌担当者からも「すごいね!」と声をかけられ、藤原さん自身もものすごく恐縮したそう。この時代から上品メークを聞かれる存在に。(1984年『JJ』10月号)
各誌に引っ張りだこだった藤原さんの連載開始。時代はスーパーモデルブーム。憧れの外国人顔になれるメークを解説。変身は毎回楽しくメークが身近になっていると感じたそう。(1993年『JJ』11月号)
外資系コスメが次々上陸、国産ブランドも増えて化粧品の種類が多くなった時代。おすすめを聞かれる機会も増え、連載も内容変更。藤原さんが紹介して爆売れしたアイテムも多数ありました。(1994年『JJ』11月号)
スーパーモデル&コスメブームで、眉が注目され始めました。眉メーク企画が増えて連載も内容刷新。まだ眉毛を整える人がいない時代、朝から晩まで眉毛の描き方を教え続けたそう。(1995年『JJ』12月号)
全10ページに及ぶ連載スペシャル版。眉はもちろん、ファンデーションからアイシャドウ、アイライン、リップまで。順を追って基本のプロセスを細かく説明するまとめ企画が好評。(1996年『JJ』4月号)
メークプロセスの体裁が現在とほぼ同じに。さらにわかりやすさを追求してレクチャー。オススメアイテムは、コスメだけでなく、ブラシや綿棒までツールまで注目されました。(1997年『JJ』3月号)
\この表紙メーク、藤原さんが担当しました!/
左:当時、梅宮アンナさんのメークは何度も担当しました。みんながスーパーモデルに憧れた時代。メークの力でなりたい自分になる! 自信に満ちたクールな表情に当時のムードを感じます。(1998年『JJ』6月号)
右:大人気のヒルトン姉妹が来日し、藤原さんが表紙メークを担当。実際会ってみると素直で良い人だったそう。中央は現在美STモデルの小畑由香里さん。(2002年『JJ』6月号)
美ST創刊から数年後に連載がスタート。「昔と比べると40〜50代が10歳若返った」とたびたび口にする藤原さん。その価値観を広めたのは美STだと、当時から感じていたそう。(2014年『美ST』8月号)
連載が、美STモデル前田ゆかさんと対談形式に。メークテクニックだけでなく、ライフスタイルから考え方まで、藤原さん自身に対する質問が徐々に増えてきたと感じ始めた頃。(2016年『美ST』6月号)
眉メークの基本は藤原さんから学んだ、そう答える美ST読者も多いはず。20年前に覚えた藤原眉、年齢を重ねた今も変えなくていいの? 藤原さんに憧れ続けた世代だからこその質問をご本人に率直に投げかけました。(2017年『美ST』4月号)
藤原さんに直接メークしてほしい人を募った企画。デビュー以来、何度も読者メーク企画を担当した中、最近は一般人のメーク技術と美意識が高くなったと改めて感じるそう。(2019年『美ST』10月号)
「メークも生き方も、伝えられるのは自分の経験を通して学んだことだけ」と話す藤原さん。美容という枠を超え、一人の先輩女性としてメッセージをいただきました。(2019年『美ST』7月号)
\卒業直前までメーク企画の最前線に! /
「やっぱり藤原さんのメークが好き!」という声が多く、令和になってもたびたびメーク企画をお願いしました。藤原さんにメークしてもらえると、喜ぶモデルさんの姿も印象的でした。(左から、2021年『美ST』3月号、2020年『美ST』4月号)
2022年『美ST』8月号掲載
取材/大山真理子 編集/長谷川 智
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2024年12月16日(月)23:59まで
2024年12月16日(月)23:59まで
2024年11月16日(土)23:59まで
2024年11月14日(木)23:59まで
2024年11月16日(土)23:59まで