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林真理子さん(68歳)「離婚という文字が嫌いで離婚しませんでした」

2021年6月号で大地真央さんとの対談にご登場いただいた林 真理子さん。その後の、日本大学理事長に女性で初めて就任するというニュースは日本中をあっと驚かせました。「やったことがないことをやったほうが人生は面白い」と、68歳を超えてなお新たなことに挑戦し続ける林さんの原動力とは、いったい何なのでしょうか?

何か新しいことをすれば昨日とは違う自分になれる。やったことがないことをやったほうが人生は面白い

爽やかなミントグリーンのブラウスとネイルをコーディネート。さすがはおしゃれ好きの林真理子さん。作家生活40年で累積著書数約250冊。直木賞、紫綬褒章、菊池寛賞など、あらゆる賞を制覇。2020年に女性初の日本文藝家協会理事長に、2022年には日本大学理事長に就任。東京・市ヶ谷の日本大学本部理事長室でお話をうかがいました。

《Profile》
1954年山梨県生まれ。日本大学藝術学部卒。’82年エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が大ベストセラーに。’86年『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞、’95年『白蓮れんれん』で柴田錬三郎賞、’98年『みんなの秘密』で吉川英治文学賞など数々の文学賞を受賞。’20年より日本文藝家協会理事長、’22年7月より日本大学理事長に就任。

敵は1分で作れるけど味方を作るには2カ月

最新刊の『成熟スイッチ』(講談社現代新書)をはじめ、この1、2年で出版した『奇跡』(講談社)、『小説8050』(新潮社)はすべて10万部超え。『李王家の縁談』(文藝春秋)もよく売れました。4冊すべてがヒットして嬉しかったですね。しかも昨年11月には「デビュー以来、40年にわたり人気作家として第一線で活躍している」と評価していただき、野間出版文化賞を受賞しました。

バブルの頃は死ぬほど文庫本が売れたのですが、その頃に比べて売れ行きはかんばしくなく、落ち込んだ時期もありましたが、最近、出す本出す本がすべて売れたのはラッキーでした。なので、昨年7月に母校である日本大学理事長に就任しても胸を張っていられるんです。

就任以来の半年間、本当に大変で執筆活動もほとんどできなかったです。短編は2つ書きましたが、隔月連載の『平家物語』が終わると、小説の連載がなくなってしまうので、さすがにこれはまずい。そろそろ次の小説の取材を始めているところです。

理事長はお飾りだと思っている人がいますが、本気でやってます。毎日朝から夕方まで大学に行き、週2回の会議もすべて取り仕切り、改革に向けて細かいことから大きなプロジェクトまで対応。うまくいっているかはまだわからないけど、かなり風通しがよくなりました。

昨年5月にある人を通じて「理事長に興味ありますか?」と電話をいただいたときは「噓でしょ?」と驚く半面、「面白そう」とも思い、すぐに話を聞きに行って即決しました。でも、主人からは「君みたいな単純な人間が理事長なんてやってはいけない」と言われ、昨年社会人になった娘からも「ママは別に頭がいいわけじゃないのに、なぜ受けたの?」と辛口発言。でも、そんなのは無視。何も私が留学していなくなるわけでもなし、生活はそれほど変わらない。「今までやったことがないことだからやってみたい」「そんな面白い経験ができるなんて」という気持ちのほうが勝ちました。

経営に関してはまったくの素人ですが、2020年に女性初の日本文藝家協会の理事長に就任し、エンジン01文化戦略会議の幹事長として、11年間すごくわがままな人たち250人を引率してきた経験も後押しして、大丈夫だと思えました。

日大本部には450人の職員がいるので、まず私を知ってもらうことが大切な一歩。きっと私の本を読んだことがない人もいるだろうと、『小説8050』を450冊買ってサインをし、手紙を添えて全員に渡しました。

理事長になって実感していることは「敵は1分で作れるけど、味方を作るには2カ月かかる」ということ。会議で反発されたとき、恥をかかせれば1分で敵になりますが、それはまったく愚かなことだとわかりました。信頼を得ないことには何も始まりません。

それで週1回ランチ会をし、プライベートの話もしながらコミュニケーションをとっています。楽しいですよ。夜は以前と変わらずいろいろな友達と毎晩会食。先日、憧れのある人から「マリコさんは心の恋人だから」と言われ、もし10年前だったら、心だけじゃなくて……と言いました(笑)。

独身の頃は買物三昧でした

年齢を経るほどにどんどん汚いお婆さんになるから、洋服はある程度トレンドを入れながら素材のいいものを着ます。2年前の冬、黒いダウンを着て銀座を歩いていたら、向こうからも黒ずくめの年配の方が歩いてきて、いいお天気だったのに気が重たくなったんですよ。三越に入ると明るい色が目に入って、そこはマルニ。ピンク色のコートを買って、そのまま着て帰ったら気持ちが華やぎました。結局、そのコートは派手すぎて姪にあげちゃったけど、以来マルニは時々買いますね。

長年好きなのはジル・サンダーとプラダ。先日ディナーパーティに出るための服を探しに行って、プラダで銀ラメのジャケットを買っちゃった。すごく高かった。職員の女性からは、〝プラダを着た理事長〟と呼ばれています。

独身の頃は年に7回くらい海外に行って、バーキンを何個も買ったりして買物三昧。あれはあれで楽しかった。最近定期積み立てを始めましたが、私の収入なら今の10倍の貯金はあったでしょう。老後夫婦で施設に入るにはもう少し貯めないと。そう言いながら先日も着物を買っちゃったり(笑)。

お気に入りのジル・サンダーのジャケットで。「7、8枚黒のジャケットを持っています。同じように見えて微妙に素材やディテールが異なり、どれも重宝しています」

離婚という文字が嫌いで離婚しませんでした

36歳でお見合い結婚しました。夫の写真が出張先のロシアで撮ったトレンチコート姿で、それが素敵で惹かれました。今は見る影もありません(笑)。驚くべき亭主関白で、怒られてばかりいます。最近は喧嘩にもならないし、お互い好きにしています。

亡くなった瀬戸内寂聴さんにも占い師にも「なぜ離婚しないの?」と言われましたが、「離婚」という文字が嫌いなだけ。週末は2人でご飯を食べに行きますが、店の予約がなかなか取れないと、「なんでもっと早く電話しないんだ」と文句を言われ、私が支払っているのに何でそんなこと言われなきゃいけないの? と思うし、話すことといったら自分がよかった時代の話ばかり。でもそれを聞いてあげています。結婚を持続させようと思うと、それなりの努力が必要ですから。

娘を産んだのは44歳のとき。だから私の40代は怒濤の日々。『白蓮れんれん』『不機嫌な果実』を書いたのも40代で、仕事も目いっぱいしていました。年長のママ友にパシリをやらされたし、毎日のお弁当も大変だったけど、楽しかったですね。シングルマザーのママ友が、子どもに「学費のために一生懸命働いている」と言っていると聞いて、「それは違うんじゃない?働くのは楽しいし、お母さんはこの仕事が大好きだと言わなきゃいけないと思う」と言いました。私自身、大人になるのはなんて楽しそうなんだろう、うちのママってカッコいい、そう思ってくれたらいいと思って子育てしましたね。

私の子ども時代は今の時代なら病名がつくほど、忘れものばかりしている子だったんです。それで娘に恥をかかせてはいけないといつも気をつけていました。なのに、娘が夏合宿に行く日、集合場所の新宿駅に着いた瞬間に制帽を忘れたことに気づき、慌てて近くの百貨店に飛び込んで帽子を買って名前を書き、歩き始めた娘にぽんとかぶせたことは忘れられません。秋元康さんに話すと「ミッション・インポッシブルだね」と笑われました。常々直さなければいけないと思って努力して、徐々に自分が良い方へ変わっていったのに、年齢と共にまた忘れものが増えてきています。

突き抜ける人は無意識に忠実に生きている

エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーになり、テレビに出るようになって、司会者やマスコミから意地悪をされ、一切メディアに出るのをやめた30代の頃が一番辛かった時代。見返してやりたくて頑張ったというのもあるけれど、そのときに決意したのはちゃんとした作家になろうということ。単純に書くことが好きで、自分に向いているなと思っていました。

編集者がタイトルをつけた『強運な女になる』の印象が強いのか、よく「運が良かったですね」と言われますが、ムッとします。私は努力の人間だと思っているから。でも努力だけでは到達できないし、自分がそうだと言ってるわけではないけれど、突き抜けていく人って無意識のものをいっぱい持っていると思うんです。努力もしているけど、やり始めたら無我夢中になっているような、そういうものが必要だと思います。

それを人は天才と呼ぶのでしょう。ユーミンを見ていると特にそう思います。私にとっての無意識は書くこと。昨日もレターセットを鳩居堂で買ってきて、お礼状を書いていました。文字を書くこと、書いている時間が好きなんです。

年を取るほどに寛容に。人間力には自信があります

5年前に母が101歳で天寿を全うしました。その10年ほど前から、滞在時間は2時間程度でしたが、仕事の合間を縫って、頻繁に実家の山梨に帰りました。ボケないようにと英語のジグソーパズルを解いていた母も最後はボケました。仕方ないですね。その母からは「自分の人生は自分で切り開かなきゃだめだ」と教えられました。

人は誰もが死に向かっていくわけですが、個性を磨き、いかに魅力的な人になって人を惹きつけられるかが人生で一番大切なテーマだと思います。それを放棄しちゃいけないんです。友達なんかいらない、孤独が好きと言う人もいるかもしれないけど、私はそうは思いません。人は年を取ると、それぞれの個性が際立ち、人が寄ってきてくれる人もいれば、より嫌煙される人もいます。

若いうちは可愛い、面白いで人が寄ってきても、そういう時代が終わったとき、どれだけ人を惹きつけられるか。それは会話や立ち居振舞いなど、内面がさまざまなところに現れます。じゃあ中身って何なの?どうすればいいの?って思うかもしれないけど、そんなの一朝一夕にできるわけがない。いろんなエキスを吸って、幹の中で蓄えて、魅力っていう花を咲かせるには時間がかかります。養分がなければ花は咲きません。いかに本を読んでいるか、オペラでもミュージカルでもいい、いろいろなものや人に出会い触れているかが勝負です。

年を経るほどに寛容になりましたね。以前は人の好き嫌いが激しく、嫌いな人にグサッと嫌味を言うのが得意でしたが、今は嫌だけの人はいない、面白いところもあると思えるようになりました。人間力に関しては多少自信を持てるようになり、68歳の今、まっすぐに生きてきたという自負がある。それが理事長に繫がったのだと思います。

林さんが40代に伝えたいこと

人は年を重ねると、外見の変化とともに内面も変わっていきます。良いほうへ変わることができると、今まで嫌いだった人も受け入れられるようになり、許せなかったことも許せるようになる。年を取るということは、成熟するということ。

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2023年『美ST』3月号掲載
撮影/中村和孝 ヘア・メーク/赤松絵利(ESPER) 取材・文/安田真里 編集/和田紀子

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