PEOPLE
夫の松田優作さんと死別したのは28歳のとき。たったひとりで3人の子ども達を育て上げ、40歳で母親を卒業。自分の人生を生き始めたという松田美由紀さん。昨年、還暦と33回忌を迎え辿り着いたのが「自分にただひたすら集中する」という境地でした。
シングルマザーとして3人の子ども達を育て上げ、40代からは写真家やアートディレクター、歌手へと活躍の幅を広げている女優の松田美由紀さん。「私は美しいもの探検隊。美しいものを探すのが得意なんです」とキラキラとした目で語ります。ゴージャスな外見とは裏腹に、実はナチュラリストだという一面も。
《Profile》
’61年東京都生まれ。モデルを経て、’79年に映画『金田一耕助の冒険』で女優デビュー。ドラマ「北の国から」シリーズをはじめ、映画や舞台で活躍するほか、写真家やアートディレクターとしても精力的に活動。シャンソン歌手として定期的にライブ「Miyuki Matsuda Cinematic Live Show」も開催。WOWOWとハリウッドの共同制作オリジナルドラマ「TOKYO VICE」第7話にも出演。
毎年誕生日やお正月は、家族みんなで過ごします。先日の私の誕生日には、一緒にご飯を食べてケーキでお祝い。その後は、みんなで歌ったり踊ったりして、楽しかったですね。子どもたちがとても優しくて、「お母さんは特別」と大事にしてくれます。
3人の子どもたちは、それぞれやりたい道に進み、才能があって本当によかったと思っています。母である私のお陰では全然ないんですけどね(笑)。愛情だけは深いのでそこは伝わっているのかな。
21歳、23歳、26歳で出産し、28歳のときに主人(俳優の松田優作さん)が亡くなりました。シングルマザーで大変でしたが、子育てはとても楽しかったです。私がまだ子どもだったので、子どもなりの育て方しかできないと開き直り、当時、流行っていた「だんご3兄弟」よろしく「だんご4兄弟」でスクラムを組み、共に成長しました。生活のことや、経済的なことまで、何でも子ども達に相談し、そういう意味では子どもっぽい母親で苦労したかもしれないけれど、そんな子育てしかできなかったですね。
正直であることでしか自分の道を切り開けず、子ども達に喜びも悲しみも苦しみも怒りも隠さず、仕事でイヤなことがあると、「疲れたんだ、泣かせてくれない?」と子どもの前でわんわん泣いたり。楽しいときは娘と一緒に笑ったり、踊ったり。
人体実験じゃないけれど、私という人間を、〝生きた見本〟として子ども達にそのまま見せていくことしかできなかったんだと思います。
昔、娘が中学受験のとき「なんで受験に協力的じゃないの?目標が作れない」と言われたこともありました。でも、娘はもう充分に頑張っているのに、それ以上親がもっともっと頑張れなんて言えないですよね(笑)。
ただ、「海外に行きなさい」とだけは勧めました。それだけは私の子育ての方向性は正しかったと思っています。長男は15歳から俳優業でしたがアメリカに、次男は17歳でイギリス、娘は高校でカナダとアメリカに留学。3人とも海外で学べたことはとても良かったと言っています。
食事については、「健康になるためなら死んでもいい」的な盲信で。子育てが始まったときから、子どもにいいものを食べさせたい一心で、マクロビやベジタリアンなど、当時はまだあまりなかった情報を手繰り寄せ、出汁の取り方や添加物などについて一生懸命勉強し、食生活にはこだわりました。
寝る前に干し椎茸と昆布を水につけておき、その出汁で1日のご飯を作りました。野菜の煮つけばっかで、コロッケの中身もおからだし。結果、子ども達には不評で、「なんでお母さんのご飯は茶色いの?」「お弁当を開けたら玉ねぎがゴロンと半分入っていてショックだった」と今でも責められますね(笑)。
子ども達の健康ばかりを考えて、今、振り返ると、なんでもっと揚げ物を作らなかったんだろう、もっと喜ぶものを作ってあげたらよかったと反省しています。「お母さんのコロッケ、おいしかったね」と思い出してくれることが大事なのに、繰り返しますがコロッケの中身はおからですからね(笑)。
自分なりに良い親であろうと頑張ってきたつもりですが、盲信せずに余裕を持って、楽しいのが一番だって最近考えるようになりました。子育ては長いようで実はとても短いんですよね。
今は何でも食べますが、基本的には健康第一のタイプ。でも、最近、初めてペヤングソースやきそばを食べたら、あまりにおいしくてびっくり。インスタントもたまにはいいですね(笑)。
優作が亡くなって33年。とにかく「男」だったし、人間的にカッコいい人でした。懸命にむき出しで生きているところが私たちは似ていました。純粋で哲学があって、尊敬していたし、心から愛していましたね。正直に生きる大変さも教えてくれた私の恩人です。人生で一番悲しかったことは、やっぱり優作が亡くなったことです。
父親としては怖かったと思いますよ。「家にいる母親は優しく、たまに帰ってくる父親は怖く。両方あることが大事なんだ」と言って実践していました。私が子育てでイライラすると「お前は優しくないとダメだ」と。亡くなってからは、子ども達に父親の姿を伝えなければという責任感がありました。
いつまでも優作を背負っていなければならないことを、たまに重く感じることがあります。33年経った今も大きな存在として、私の中に鎮座しているわけですよ。それは私が妻に固執しているわけでもなく、優作がスターだったからというわけでもありません。優作だからなんです。
今やっている優作に関するさまざまなものは、デザインなど最初からほとんど私が参加しています。今でも優作と相談しながら一緒に制作している感じで、すごく不思議ですよね。
Y’sのスタイリッシュな服をカッコよく着こなして。「109でフリフリの黒のセットアップを購入したのですが、可愛いすぎたの」
数年前から定期的に開いている「シネマティック・ライブ・ショー」は、私がジャズやシャンソンを歌い、詩を読んで、一作のドラマのようなライブを作っています。出演・脚本・構成は私自身でやります。ライブを終えたとき、1本の映画を見たような満足感に浸ってほしいというのがコンセプト。観客の方たちがどうお感じになるのか不安でしたが、みなさんぽろぽろ泣いて「ものすごく良かった」と喜んでくださるんです。
歌うことで、優作のことも、子離れできないトラウマからも解放されましたね。3人とも大人になって、それぞれちゃんと立派に仕事もしているのに、心配性だから何かあるたびに自分のことのように、「それでどうなった?」なんて心配して、バカだったなあと思います。歌うようになってから、心配することをやめられるようになりました。音楽を通してやっと「自分に集中すればいいんだ!」と気がついたからなんです。それは単純なようで大きな発見でした。
私が40歳で娘が留学し、3人とも家を出て行って、初めてのひとり暮らし。直後はエンプティネスト症候群なのか、少し鬱っぽくなりましたが、寂しさをエネルギーに変えてからは毎日が万歳三唱。
一番若くて楽しい20歳からの20年間、髪の毛ボサボサのすっぴん生活。遊びに行きたくてもご飯作りをしなくちゃいけなかったでしょ?そこから解き放たれた40代はもう祭りしかないわけです(笑)。何をやってもいいわけだから、小躍りしてました。
でもすぐに子ども達がいなくなった寂しさに押しつぶされそうになって、それでクリエイティブなことに集中していきました。写真を始めたんです。デザインもデザイン学校に入って、最初に『松田優作全集』(幻冬舎)を作り、そこから表現することがおもしろくなって、フリーペーパー『R』の編集長や写真家として雑誌のグラビア連載も。
私は好きなこととなると集中力が半端なくて、ある程度は一気に習得します。でも、人一倍頑張りました。ところが頑張りすぎたのか、50代は更年期症状が出て、53歳くらいからダダダダダッと、崩れていったんです。鬱っぽくなり、仕事もしたくなくなって、きつかったー。その時期が7年くらい続きました。ナチュラル志向なので薬もホルモン剤も飲まないから、転げ落ちるように酷くなって、誰とも会いたくなかった。暗黒の50代でした。57歳で心筋梗塞にもなって入院と手術をし、回復すると共に少しずつ元気になっていきました。
私は実は心配性で、楽天的ではありません。それでも、優作の死もひとりでの子育ても、50代のネガティブ時期も何とか乗り越え、やっと辿り着けたのが「自分に集中する」ということ。
つい人と比べたり、自分をこうだと決めつけてしまったり、週刊誌やネットに書かれた情報の中の自分に引きずられてしまったり。でも、そんなことはどうだっていいことなんだと分かったんです。大切なのは、『ただひたすら自分に集中すること』なんです。
例えば、おもしろい仕事がないなとか、恋人ができないなとか、そういう自分をダメ人間みたいに誰でも思ってしまうじゃないですか。でもそんなことに囚われず、先のことは考えず、今の自分に集中して邁進することが重要。そうすると必ず光が見えてきます。私も先のことを考えると不安しかなかったし、自分は必要とされていないんじゃないかとか、将来の生活のことを考えたりしました。でも、将来を憂うなんてことは一切せず、やりたいことに邁進すると、自ずとそれが自分を助けてくれるとわかりました。
辛いことがあれば楽しいこともある。人生はすべて表裏一体。光と影のように両方セットです。愛が深ければ心配も深い。片方だけ欲しがるのではなく、両方セットで受け入れることが人生を輝かせる秘訣だと思います。
いつも鼻先に人参をぶら下げて、それをキラキラと追いかける。そうやって懸命に生きていければ、それが一番幸せです。
「逃げる」というとネガティブなイメージだけど、自分が良くなるためにその場から離れて、逃げることはポジティブです。だからポジティブに前に逃げるんです。
2023年『美ST』1月号掲載
撮影/彦坂英治 ヘア・メーク/三田あけ美 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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