PEOPLE
テレビの黄金期だった1986年にフジテレビに入社し、個性派アナウンサーとして人気だった阿部知代さん。昨年7月に定年退職した後も、フジテレビで働き続けていることが話題に。「美容意識は高くない」と謙遜しますが、還暦を超えたとは思えないスリムなボディで、真っ赤なドレスに身を包んだ艶やかな姿は、さすが元“アナウンサー”です。
お話を伺ったのは…阿部知代さん(61歳)
《Profile》あべ・ちよ
’63年群馬県生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後フジテレビに入社。アナウンサー、キャスターとして「FNNニュース」など多くの報道番組に携わる。「なるほど!ザ・ワールド」「笑っていいとも!」など、バラエティ番組でも活躍。パリ支局、NY支局に駐在経験も。’15年より報道局に異動。’23年7月定年退職し、現在も同局に勤務。
40代は楽しかったですね。それまで報道番組中心だったのが、バラエティ番組をはじめ、いろいろな仕事が舞い込んできてとっても楽しくて。今振り返ると人生の転換期でした。
実は20代、30代は仕事がなくて、心が腐っていた時期もありました。アナウンサーって、制作サイドからオファーがあって初めて仕事になる。当時はすでに管理職で、マネージャーとして他のアナウンサーに仕事を割り振ることはあっても私にはオファーがなくて、寂しかったですね。でも仕方ないと割り切って、プライベートを充実させました。映画、芝居や歌舞伎観劇、美術鑑賞……好きなことばかりしました。時間を無駄にしたくないとか、仕事がないとネガティブな気持ちになるより、自分をハッピーにしておきたかったから。気分が良くなることを無意識に選んでいたのだと思います。自分をご機嫌にしておくことが私の人生のテーマですね。結果、そのとき観た映画の俳優さんや監督さんに後にインタビューすることになったり、今に至る趣味に繋がったり。人生に無駄なことってひとつもないんです。
逆にプライベートでは私にしては珍しく恋愛をお休みしていた時期。40代の終わりに、再開しましたが(笑)。
20代、30代は恋愛体質でしたね。人生を振り返って一番辛かった出来事も失恋。30代前半、海外出張から「ただいま」と帰宅すると、同棲していたボーイフレンドも荷物も消えていました。帰国前日に「明日帰るね」と電話で話していたのに、何の言葉もなく出て行って、衝撃でした。食事ができなくなり、体重も42kgまであっという間に落ちて、表情には悲壮感が漂い、肌もシワシワ。いまだに覚えているのが、局のメイクさんにメイクしてもらっていたとき、彼女が「ひえっ」って小声で叫んだと思ったら、ブラシに髪の毛がごっそり。大量に抜けたんです。それを見たとき、あ、食べなきゃと思ったんですよね。結局、時間とデータ、つまり新しい恋で上書きすることで、立ち直るまで3年かかりました。
恋愛中は目を真っ赤にして会社に行ったり、トークがやたらセンチメンタルだったりするので、後輩のアナウンサーから「阿部知代さん、わかりやすすぎます」って。でも「大丈夫ですよ」と逆に慰めてくれました。当時は美術番組を担当し、アーティストの方たちに接する機会が多く、アーティスティックな尖った人が好みでした。お互い傷つけ合い、ぐちゃぐちゃになって別れて。自分より収入が低い人と付き合ったことも。徐々にそういう人は疲れるようになって、40代後半からは多少鈍くてもほわっとした人に惹かれるようになりました。クマのプーさんみたいな人が好きです。
今も恋していますよ。片思いですが。もう恋することもないと思っていたのに、LINEが既読になって返信がないと、泣く、みたいなことをやってます(笑)。バカじゃない?ってバカなの。還暦過ぎて、こんなことになるなんて、びっくりしています。
思いもよらなかったバラエティ番組を担当し、40代はまさに人生の転機でした。若いころに想像していた40代って、もっと大人だったはずなのに、自分は未熟で。でも年齢は重なってゆくわけで、もっとしっかりしないとこの先辛いかもと思い始めたころでした。
昨年7月、38年間勤務したフジテレビを退職しました。契約形態は変わりましたが、今も同じ報道局で同じ仕事をしています。素敵な先輩後輩に囲まれていた自由なフジテレビが大好きで、辞めようと思ったことは一度もありません。60歳を過ぎて、フジテレビを辞めたら自分がどうなるか、ずっと想像がつかなかったんです。毎月お給料が振り込まれ、保険証もある中で生きてきて、それが全部なくなるってどういうことなのか。50代後半に差し掛かって現実味を帯びてきて、考えざるをえなくなりました。
例えば住む場所にしても、実家の群馬に帰り、ひとり暮らしの父と住むべきか、東京と群馬の2拠点生活にするのか悩みました。結局、群馬には頻繁に帰って父との時間を持ち、今まで通り東京に住む道を選びました。ずっと賃貸マンションでしたが、独身で定年になると途端に家を借りるのが厳しくなると聞き、買うしかないと決意。グレイヘアも然りですが、定年に向けて逆算し、57歳で家を探し始めました。不動産屋さんに資産を聞かれたとき、税理士さんに丸投げしていたので、まさに「はて?」。貯金や投資をしていたわけでもなかったし、無理なくローンが組める価格帯で、気に入っているエリアで見つけました。小さな部屋ですが、リノベーションをして快適に暮らしています。
会社を辞めたら寂しくなるだろうと思っていたけれど、同じ仕事をしているので寂しくないし、逆に正社員でなくなるとフジテレビというジャケットからTシャツに着替えた身軽さを感じて新しいことに挑戦できるように。
まったくダンス経験はないのですが、身体性に富んだ作品を創作するカンパニーデラシネラのエキストラのオーディションを受けて合格。舞台に立ちました。この年になって未経験な分野に挑戦するって勇気はいるけど楽しいですね。長年続けている俳句をまとめた句集も自費出版で計画中です。
週末は浄瑠璃や俳句、観劇などで充実。歌舞伎から落語まで年間150本は観ていますね。
仕事面では、還暦を機に取材が殺到。まさに還暦特需(笑)。こんなに調子がいいと、そろそろ穴があるんじゃないかしらね。人生は何が起こるかわからない。順調に歩いているようで結構いろんなところに穴が開いています。たまたま落ちずに歩けたら、それは奇跡。恋に落ちるように人生は穴だらけです。落ちる前に心配してもしょうがない。何とかなりますって。
フジテレビで一番大好きなドラマ「古畑任三郎」が今年で30年。私は30歳でした。毎回、キメ台詞「古畑任三郎でした」を一緒に口ずさみ、社員としてとても誇らしかった。今もフジテレビで働いていられることを心から幸せだと思っています。
誰かの真似をするよりも、自分らしくいるのが一番ラクで幸せです。自分は何をしているときが幸せなのかをよく見極め、その幸せを集めて周囲に敷き詰めて生きる。人生は一度きり、楽しんで幸せを感じながら生きましょう。
《衣装クレジット》
ワンピース(TADASHI SHOJI)
2024年『美ST』9月号掲載
撮影/吉澤健太 スタイリスト/にしぐち瑞穂 取材・文/安田真里 再構成/Bravoworks,Inc.
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2024年11月16日(土)23:59まで
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