PEOPLE
肉体派のタレントとして爆発的な人気を博したケイン・コスギさん。そのきっかけとなったのがTBSのテレビ番組『筋肉番付』と、今やケインさんのライフワークとも言える『SASUKE』。運命とも言えるスポーツ番組との出合いや、18歳で単身日本での生活をスタートさせて俳優を目指した日々、30代で挑戦したハリウッド、そして今年2年振りの参戦となった『SASUKE』についてなど…50歳を迎えたケイン・コスギさんの今までのキャリアについて余すことなくお話をうかがいました。
《Profile》
1974年10月11日生まれ。アメリカ・ロサンゼルス出身。1歳から空手、柔道、剣道、テコンドー、古武道などあらゆる武道を習得し、さらに器械体操、アメリカン・フットボール、バスケットボールなど数多くのスポーツをこなす。1980年に6歳でハリウッド映画デビューし、ロサンゼルスの高校を卒業後、1993年に来日。「筋肉番付」、「SASUKE」(ともにTBS)で一気に人気に火が点く。2005年より本格的にハリウッドに進出し、2007年に映画『DOA/デッド・オア・アライブ』で出演を勝ち取る。2014年にはハリウッド映画『TEKKEN 2:KAZUYA’S REVENGE』で主演に。2024年の締め括りとして2年振りに「SASUKE」(12/25放送)に挑戦。
2024年の12月25日放送の「SASUKE」に、2年振りに参戦しました。本当は去年も参戦する予定だったのですが怪我をしてしまって。今年の10月も自分を追い込み過ぎて膝の骨を損傷してしまうというアクシデントがありました。「無理をしない」と心がけてはいても、どうしても本番が近づくとトレーニングに熱が入ってしまうんです。生来の負けず嫌いと、いい成績を残したいという欲もありますね。
2年前の「SASUKE」は、21年振りの参戦でした。ちょうど僕が30代でハリウッドに挑戦していた時期だったので間があいてしまったのですが、またこうやってお声がけいただけ、本当に光栄だと思っています。これから先もできるだけ長く挑戦させていただけるように、その思いが僕のトレーニングの一番のモチベーションになっています。何せ、今回の「SASUKE」の撮影の次の日から来年のためのトレーニングを始めていますから(笑)。
「SASUKE」はもはやテレビ番組の枠を超え、歴史のある“競技”なんです。初期から挑戦している人もいれば、新しく挑戦する人もいる。新旧入り混じり、より高みを目指し合っているという感じがします。昔は個人個人でトレーニングをしていましたが、今ではチームのようになって一緒にトレーニングをすることも。大変なんだけれど、心強いし楽しいですね。お互いアドバイスをし合い、応援し合って、みんなで「SASUKE」と戦っているんです。
俳優を目指したのは、父の影響でした。アクション俳優である父の背中や父の映画を見て育ち、自然と物心ついた頃から憧れていたんです。ロサンゼルスの高校を卒業した後、大学に進学する選択肢もあったのですが、父が大河ドラマに出演するのをきっかけに自分も日本へ同行することに。出番はわずかでしたが僕も出演させていただきました。撮影後、父から「このまま日本に残って、日本語や日本の文化を学んだ後にアクション俳優を目指してもいいんじゃないか?」とアドバイスを受けたんです。1歳から父のもとで武道をはじめとした様々な稽古を積んでいた僕にとって、父の言葉というのはとても大きくて。それに30代や40代で活躍するアクション俳優の先輩方も沢山いるので、10代や20代は他の学びも必要かもしれないと、僕自身思っていました。
大河ドラマの後は『ウルトラマンパワード』の出演が決まっていたので一旦アメリカに戻り、ウルトラマンが終わってから再び日本へ。単身、本格的な日本での生活がスタートしました。最初は何から何までカルチャーショックで!5畳半のボロアパートの部屋に住んでいたのですが、ゴキブリは出るし家事はロクにできないし、電車のラッシュアワーの人の多さや、飲食店で出てくるサラダの量の少なさなんかにも(笑)、とにかく驚きの連続でしたね。今では日本が一番リラックスできて、アメリカに行くと「早く日本に帰りたいなぁ」と思うほどです。
最初は1〜2年でアメリカに帰ろうと思っていたのですが、テレビで見る日本のタレントのオールマイティさに感銘を受けて。ドラマ、映画、CM、バラエティ、なんでもやっていますよね。当時のアメリカでは、映画俳優は映画だけ、テレビタレントはテレビだけ、という棲み分けがはっきりしていましたが、日本だとそれが全部できる。このまま日本でもっと色んなことを経験したい!次第にそう思うようになっていったんです。
戦隊モノの『忍者戦隊カクレンジャー』にも出演させていただき、ウルトラマン以降最初は順調なすべりだしでした。でもいかんせん日本語がロクに喋れなくて、次第に役のオファーもなくなっていって…。仕事のない期間が2〜3年は続いたと思います。その間は東京の田町の小さなコーヒーショップでアルバイトしていたんですよ。注文が取れないからずっと厨房の流しで食器洗っていましたけど(笑)。アルバイトの時間以外はひたすらジムでトレーニングをする日々でした。先の見えない不安を解消するためにのめり込んだ、とも言えるかもしれません。
そんな日々の中、突然番組のプロデューサーから番組出演の打診をいただいて。それが『筋肉番付』です。僕が22歳の頃でした。最初は小さなコーナーから挑戦させていただいて、次第に花形の企画にも挑戦させてもらえるようになりました。負けず嫌いだからうまくできないと燃えるんです。がむしゃらに頑張っていると、その3年後には様々なテレビ番組やドラマにも出演させていただけるように。思い返せば僕のターニングポイントでしたね。あの番組がなかったら、今の僕はないですから。
《衣装クレジット》
デニムジャケット¥37,400タンクトップ[3枚パック]¥9,350デニムパンツ¥33,000〈すべてカルバン・クライン〉ボクサーパンツ¥8,800〈カルバン・クライン アンダーウェア〉(すべてカルバン・クライン カスタマーサービス) その他すべてスタイリスト私物
【ショップリスト】
カルバン・クラインカスタマーサービス 0120-657-889
撮影/田中駿伍(MAETTICO) ヘア・メイク/川村友子 スタイリスト/庄将司 取材/キッカワ皆樹 編集/浜野彩希
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2025年1月16日(木)23:59まで
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